今日は少し切ない気持ちで、わが家の「台」とさよならをすることにしました。この台は、みうがまだ小さかった頃からずっと家族の生活の中にあって、育児を助けてくれる頼れる存在でした。親として初めて購入した育児アイテムのひとつで、最初は「本当に必要かな?」と半信半疑だったのですが、気づけば毎日のように大活躍してくれていたのです。
みうがまだ身長が低く、自分の力では届かない場所がたくさんあった頃、台はそれを助けてくれる小さな足場でした。手洗いにしても歯磨きにしても、最初の頃は私が抱き上げたり手伝ってあげたりしていました。でもこの台があったおかげで、みうも少しずつ「自分でやる!」という気持ちが芽生え、私も彼女が自立する一歩をサポートすることができました。
洗面台の前に台を置くと、みうは嬉しそうにその上に登り、しっかりと蛇口を握って手を洗ったりうがいをしたりしていました。まだ少し不安定な足取りで、でも一生懸命に台に立つ姿は本当に愛らしかったです。その姿を見守りながら、「成長してるなぁ」と毎回しみじみと感じていました。洗面台で手を洗うだけでなく、台に乗って鏡の中の自分と目が合うと、にこっと笑顔を見せることもありました。その笑顔を見るたび、私も自然と笑顔になれました。
トイレもこの台が大活躍でした。まだ身長が足りないみうにとって、トイレの便座はちょっとした壁のように高く見えたことでしょう。でも台を使うことで、一人でトイレに座ることができるようになり、少しずつ「自分でできた!」という自信をつけていきました。そのたびに私は、子どもが何かをできるようになる喜びを感じ、同時に少しずつ親の手を離れていく寂しさも感じました。
そして少しずつ、みうも成長して身長が100センチを超えるようになり、日常生活の中で台の助けが必要なくなってきました。今では、台がなくても洗面台の蛇口に手が届きますし、トイレも自分でスムーズに使えるようになりました。お風呂場の電気も、自分の力でオン・オフできるようになり、台の存在が次第に薄れていきました。もはや台はただそこに置かれているだけの存在になり、場所をとるものとなってしまいました。
「台、どうしようかな?」と何度も考えた末に、とうとう手放す決意をしました。とはいえ、やっぱり思い出が詰まっている台を処分するのはとても寂しいものです。家族として過ごしてきた時間の中で、台もまた家族の一員のような存在でした。みうが小さかった頃の記憶がこの台には詰まっていて、それを手放すのは小さな別れのような気がして、心がぎゅっと締め付けられる思いです。
「いままでありがとう、台」と声をかけながら、思い出の中の小さなみうを思い返しました。最初のころは、まだ自分でできないことばかりで、不安そうにしていたみう。でも少しずつできることが増え、台に乗るたびに誇らしげな表情を見せるようになっていきました。彼女の成長を支えてくれた台には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。毎日家族の暮らしの中で役立ってくれた台には、「ありがとう」と言っても言い尽くせないくらいの感謝の思いがこもっています。
そういえば、家では「台」とシンプルに呼んでいましたが、名前をつけてあげればよかったな、と思いました。例えば「ステップくん」や「お手伝いさん」なんて名前があったら、もっと愛着が湧いたかもしれませんね。みうも「台」じゃなくて、名前で呼ぶことで親しみを感じてくれたかもしれません。今思えば、もう少し丁寧に接してあげたらよかったな、と少し後悔もありますが、それもまた良い思い出です。
こうして、台との思い出をブログに記録することで、また何年か経った後にこの文章を読み返して懐かしい気持ちに浸れるかもしれません。みうがもっと大きくなって、このブログを読んだときに「そんなことがあったんだ」と笑ってくれたら、それもまた嬉しいですね。親として、子どもが成長する過程を見守り、少しずつ自立していく姿に喜びと切なさが入り混じった複雑な気持ちを抱きながら、これからも記憶を大切にしていきたいと思います。
台、いままで本当にありがとう。
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